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1.極限における日本人の心

一般社団法人Nippon Diner協会が誕生したのは、今から3年前に起きた痛ましい出来事がきっかけです。2011年3月11日に起きた東日本大震災です。
当時、私は(株)ライフスケープマーケティングの会長を務めており「21世紀の日本の食卓潮流の研究」を行っていました。研究は2年あまり続いていました。
21世紀が訪れる前夜まで、21世紀という新しい時代に、私たちは大きな期待をよせていました。しかしその期待は全く裏切られました。21世紀になってからの十数年、私たちの生活に何も良いことが起きていません。それどころか生活を脅かし、世界を震撼させる事件の連続でした。
食MAP(注)は、私が中心になり(株)NTTデータのシステム科学研究所で開発した、世界で唯一無二の食卓マーケティング情報システムです。これを使って21世紀の食卓トレンドを調べてみたいと思い、「21世紀の日本の食卓潮流研究」を始めました。食MAPデータの収集調査は1997年から始まり、現在も続いています。365日の食卓を、メニュー、材料、JANコードで観察します。生活背景や食卓動機などの情報も収集しています。今流行りの言葉でいえばビッグデータのマーケティング情報システムです。
注)食MAPは首都圏360世帯の365日の食卓実態をJANコードベースで毎日調べるシステムです。1000メニュー、2000食材あり、食材の下にJANコードが付与されています。誰が何を食べたか、どんなメニューや食卓が人気があったか、食卓動機、その日の気温まで入っています。

2008年9月リーマンショック後、内食回帰が食品業界で話題になっていました。外食化にストップがかかったと言われました。ただ食MAPでは、内食回帰は2004年から観察されていました。当時、そのことを誰も知りませんでした。内食回帰は単なる経済的問題ではなく、日本人のライフスタイルの変化が原因していると、読み解きました。このリポートが食品業界で話題になり、10数回に及ぶ公演依頼がありました。

同じような内食回帰がアメリカでも起きているという話を、何人かの友人から聞き、その実態を探ろうと渡米を決めました。出発予定日は2011年3月11日でした。
 3月11日2時50分頃、成田国際空港の出国手続きをしている時、大地震に遭遇しました。空港内で大きな横揺れが起きました。当時、出国場所の4階にいた私は、まるでメリーゴーランドに乗っているようで、とても立っていれられません。私のすぐ後ろに並んでいたアメリカ人女性は、ひっくり返りざまに私の足首をつかみ「Jesus Crisis! Jesus Crisis!」と泣き叫びました。私は思わず「大丈夫、大丈夫」 と抱きかかえました。地震の経験が無いアメリカ人だったのでしよう。天井にはたくさんの吊り下げ物がありましたが、落下物がほとんどなかったのが私たちの幸いでした。
危険なので電気もガスも止められました。自販機の飲み物や食べ物は、大勢の人が我先に取り出し一瞬にしてアウトです。店は全てシャッター・クローズド。空港内にいると危険なので全員屋外に出されました。当然、交通機関は全てストップ。外に放り出された人々はどうすることもできません。おろおろと、立ち尽くすだけ。夕方になり雨が降り出し、冷え込みが厳しくなったので、空港側が人々を一階のロビーに誘導しました。ロビーに入る途中、近くの建物から「街が消滅した」というニュースが、耳に飛び込んできました。一瞬、何のことか意味が理解できません。後でロビー内のテレビで、船が大津波に呑まれ、ころんころんと転がる様を見て、消滅の意味が恐ろしいほど分かりました。

『空港にこんなに大勢の人がいたのか!』と思うほど人の山でした。暗くて、寒くて、床は冷たい。ロビーに集められた群集は、通路を確保するために幾つかの場所に別けて、集められました。集められた人々の場所は狭く、立水の余地もありません。足が出せないほどの詰め込み様です。
空港側の対応はパニックの極みでした。わめくようなアナウンス。「誰々さん、何処にいますか」「誰々さん至急、どこそこまで来てください」。なんの指示もできていない様子でした。航空会社と連携することもできていません。いかに空港側のリスク管理が甘いかを暴露しました。
ほとんどの外国の航空会社は、乗客より自分たちの都合を優先し、乗客の安全を確保したり、サービスする姿勢が全く見られませんでした。米国のある空港会社などは、カウンターに職員の姿がありません。聞くと搭乗客を残して、全員屋外に逃げてしまったそうです。その航空会社の職員のほとんどが、派遣社員だったそうです。
その中で印象に残ったのがANAスタッフの活躍ぶりです。自社の搭乗客はもちろん、他社の搭乗客のためにもテキパキと対応を行っていました。それも極めて冷静で丁寧でした。彼らのおかげでどれほどのツーリストが助かったことでしょう。日本人のおもてなしの心はこんなところに表れるのだと、今でも思い出します。ユネスコ世界遺産に和食が「おもてなしの心」で登録される3年前のことです。

1階のロビーに押し込まれ、少ない自分たちの食べ物や水をお互い譲り合い、一晩、過ごしました。冷たい床にダンボール箱の切れ端を引き、毛布もなく、足をのばすことも難しく、横になることもできません。一晩中、床にしゃがみこんでいました。暗くて寒い空港内のロビー。時々、人が何かを見つけたように、走り回っていました。

空港内で夜を過ごすうちに、極限におけるもう一つの日本人の心を、垣間見ることになりました。日本人のほとんどが、おとなしくしゃがみ込んでいます。そこに水、食料、毛布など緊急物資が、思いついたようにワゴンで運ばれてきます。日本人はおとなしく物資を係員から受け取ろうとします。その横から物資の略奪が始まったのです。略奪は多くが外国のツーリストです。ほとんどがアジア人。それを日本人はじっと見ている。これをどこから来たのか報道局のカメラがとらえる。どう報道されたか判りませんが、おそらく「日本人は礼儀正しい国民。外国人は礼儀をわきまえない不埒者」だったのでしょう。報道の規制がかかり、放映されなかったかもしれません。
この事件の真相は、後で思うと少し違っていたのではないかと思います。
日本人は「誰か、今に助けに来てくれる」という独特の集団的安心感に浸っていたようです。勿論自分も含めてです。日本人の間に、妙な安心感がありました。外国人は「自分の命は自分で守る」という個人主義的で動物的な本能で行動したようです。

「このままでは日本人は世界から馬鹿にされる!?」
そんな嫌な予感がしました。
翌日、ロサンゼルスに飛べる航空会社をなんとか探し12日の夜、アメリカに向けて飛びました。家に帰りたがるクライアントを、強引に引き連れての渡米です。
同行したクライアントは、さぞ、私のことを恨んだことでしょう。
どうしてもアメリカの内食回帰の実情を調べたかったのです。
「訪米が日本の食の再生に繋がる」という予感が働いたのです。



一般社団法人Nippon Diner理事長 齋藤隆